最近、ふと「AIとの付き合い方って、なんだか宗教みたいだな」と思うことがあります。
もちろん、神様を拝むわけでも信者の数を競うわけでもありません。でも、AIが出てきてから、人間って「何かを盲信する姿勢」が浮き彫りになったなと感じます。ちょっと皮肉ですよね。
実際、AIを崇拝しちゃってる人の行動を見ていると、共通点がいくつかあります。
1. 「AIに丸投げすれば全部解決!」という幻想
「AIに任せれば面倒なことは全部終わる!」
「このAIは神レベルだから、何でもやってくれるはず!」
こう思っている人、意外に多いですよね。でも現実は甘くありません。AIに仕事を丸投げしても、期待通りに動かないことばかりです。
これは、意味もわからず神棚にお賽銭を投げる信者みたいなものです。
AIは祈るだけでは動きません。「正しいプロンプトを書く力」、つまり日本語力と論理力が成果に直結します。
一時期「プロンプトエンジニア」という言葉が流行りましたが、結局は「ちゃんと日本語が使えるかどうか、国語力」の話だったんですよね。
でもまだ、中身が複雑で分かりにくい仕様書を書いて「後はAIに任せろ」という考えの人も見かけます。端的には、自分は変わろうとしない人ですね。
2. ベストな結果を出すには「人間側の工夫」が必要
AIはあくまで指示を受けて動くツールです。
だから、望む成果を出すには、仕様書やプロンプトの書き方に人間側の工夫が必要です。
ここで思い出すのが山本五十六の言葉です。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」
今でもこれ、AIに対しても当てはまると思うんですよね。
AIが理解できる言葉で最適な指示を出す。
それができる人が少ないのも現実です。
ほめるまではいらないにしても、段取り立てて説明するスキルは必要でしょう、的に。
3. 「独りよがりな仕様」はAIにも伝わらない
さらに厄介なのは、「これが正しい仕様書」と思って書いたものが、見てみると分かりにくい場合があることです。
自分では完璧だと思ってAIに渡しても、AIは言われた通りにしか作れません。
分かりにくい仕様を渡せば、分かりにくい成果しか返ってきません。
AIは神様じゃなく「鏡」のようなもの。
自分が投げた仕様がそのまま映し出されるだけです。
だからこそ、人間側で仕様を見直してブラッシュアップする手間が必要になります。
4. 過去に見た「日本語の書けない設計者たち」と氷屋の話
私がITの現場で見てきたのは、まさにこういう光景です。
こういう人たちは、いわゆるフィールドエンジニアタイプ。
技術はたいしてないけど「仕様書は書ける」と自称する人、結構います。もちろん、私も人のこと言えない汗。
特にオフショア開発などでは、日本語ネイティブでない人がプログラマーになることもあって、バグが出ると「日本語力が足りない」と片付けられるケースもあります。正直、見てて痛いです。
例を挙げると、仕様で書いた「および」という表現が「AND」か「OR」かで取り違えてバグを出したケースがあったみたいですけど、普通に「AND」「OR」の直訳である「かつ」「または」の表現を使っていれば済む話です。わざわざあいまいな言葉を選択してしまうのか。「日本語が普通におかしいだけじゃん」と言いたくなることもありますよ。笑
AI時代になって、この「言語力・論理力が低いまま丸投げするやり方」は通用しません。
言語力と論理力が成果に直結する世界がやってきたからです。
だから、こういうエンジニアの人は意識を変えないと、例えるなら「家庭用電気冷蔵庫ができた時代の氷屋さん」みたいになってしまいます。
要は、あと数年で時代に置いていかれる可能性が高いということですね。
5. 結論:AIも宗教も、「信仰だけ」ではダメ
AIを使いこなすには、「正しいプロンプトを書く力=日本語力」が必須です。
仕様を書くときは、まず冒頭でやりたいことをまとめる。
いきなり細かいことを羅列すると、AIは読み飛ばしたり勝手に補完してしまいます。
矛盾したことを書けば、昔の人間エンジニアなら誤りを指摘してくれたのが、AIは勝手にアレンジして作ってしまいます。
だからこそ、日々「自分の日本語はどうか」を意識して検証しながら、AIに伝わる表現を磨いていくことが大切だと思って、日々新聞の社説欄を眺めています。眠くなるけどね。